はじめに
先日、2026年度の日本建築学会大会が広島で開催されました。以前から興味があったので早速参加してまいりました。
日本建築学会大会ではオンラインや対面での開催があり、オンラインでもいくつか参加し、また、広島へ行って、対面形式で開催された建築法制委員会の研究協議会に参加させていただきました。
今回のブログでは、対面形式で参加した建築法制委員会の研究協議会について簡単に報告をさせていただきます。また参加にあたり、これまで既存建築物の法適合調査等において感じる法的な課題や懸念点なども整理したいと思います。
「建築法制委員会 研究協議会」での発表内容について
今年のテーマは「建てられない時代の建築ストックの品質担保と責任」。人口減少や資材価格の高騰などを背景に、新しく建てることが難しくなり、今ある建物を使い続けることが当たり前になっていく。そうした時代に、既存の建物の品質をどう担保し、その責任を誰がどう負うのか、という問いです。
そうした問に対して、法制度、不動産市場、技術基準、民事法、海外の制度改革など、さまざまな立場からの報告がありました。
全体を通して感じたのは、建築に関わる法制度の多くが新築を前提に組み立てられてきたため、既存の建物を活用していく時代に十分対応しきれていない、という問題意識です。既存建築物に技術基準をどう当てはめるか、既存の建物を不動産としてどう評価するか、といった論点とあわせて、民事上の責任の問題も取り上げられていました。
特に印象に残ったのは、既存建築物の調査や改修では、誰が、何を、どこまで負うのかがあらかじめ見通しにくく、そのことが専門家の関与をためらわせ、ひいては建物の活用そのものを妨げる一因になっている、という指摘です。責任の範囲が見えないから、引き受ける側も慎重にならざるを得ない。この構図は、実務の感覚としても腑に落ちるものでした。
実務家として、考えたこと
この指摘を聞きながら、法適合調査の現場で日頃から感じている問いと重なる部分が多いと感じました。
既存建築物の法適合調査には、新築の設計や審査とは違う、固有の難しさがあります。ここでは、私が特に問題意識や課題と思っている事項を3つ挙げてみます。
問1.合理的な推測が、後で覆ったとき
既存建築物の法適合調査において、今から建築する建築物とは違い、「どのような素材や材料を使って建築したか」「隠蔽部はどのように作ったか」「設計図通り施工されたか」などを直接確認できるわけではなく、それらの記録がすべて揃っているわけでもありません。
そのため、隠蔽部や目視等で確認できない素材や材料の性能については現場の状況や残っている資料などをもって推測することが多いのが現状です。よって、図面や資料など十分に残っていない建築物では、建築時期や増改築の経緯を、現地の状況や手元にある資料から合理的に推測して判断せざるを得ないことがあります。以前の記事で、登記の時期や航空写真などから建築時期を推し量る方法に触れましたが、それはあくまで推測です。
では、調査の後に新たな事実(例えば、図面通りに施工されていなかったことが判明した場合など)や、残された資料とは別の資料が見つかるなどして、推測とは異なる事実が明らかになったとき、調査者はどこまで責任を負うのでしょうか。問われるのは、結果が外れたことなのか、それとも推測に至った過程が合理的だったかどうかなのか。この線引きは、はっきりしているとはいえません。
問2:「適合」「不適合」という判定の重み
法適合調査の報告書では、各規定について「適合」「不適合」「既存不適格」といった判定を示します。しかしこの判定は、行政処分でも公的な証明でもありません。あくまで、調査者の専門的な見解です。
一方で、報告書を受け取る側は、「適合」という言葉を、公的なお墨付きのように受け止めることがあります。しかも、これまでこのブログで取り上げてきたように、用途の判断や「〜上有効な」といった文言の解釈は、最終的には特定行政庁が判断する事項であり、行政によって扱いが分かれることもあります。
実態に即すなら「おそらく適合しているが、最終的には特定行政庁の判断による」という判定になります。しかし、依頼者が求めているのは明確な判断であり、留保を重ねた報告書は、売買や融資の場面では使いにくいものになってしまいます。分かりやすさへの期待と、判定の法的な位置づけとの間には、ジレンマがあります。
一個人の見解として示した判定は、どの程度の重みを持ち、どこまでの責任を伴うものなのか。専門家の見解として尊重されるべきものである一方、文字面だけでの理解や解釈により誤解を生み、それが独り歩きしたときの責任の範囲は、どうなるのか。
問3:報告書は、依頼者以外にどこまで効力を持つのか
法適合調査の報告書は、依頼者の手元だけにとどまるとは限りません。売却の際に買主へ、融資の際に金融機関へ、改修の際に設計者へと渡り、それぞれの判断材料として使われていきます。
ところが、報告書の判定は、上記にも記載した通り、ひとつの見解でもあり、また、依頼者へのヒアリング(依頼者の記憶や認識に基づく説明など)に基づいてなされたものも少なくありません。過去の使用状況や、記録の残っていない改修の経緯などは、依頼者の説明に頼るしかない場面もあるのです。
依頼者の説明をもとにした判定を、契約関係のない第三者が信頼したとき、その信頼はどこまで保護されるのでしょうか。そして、もし前提となった説明が事実と異なっていた場合、その責任は誰が負うのでしょうか。報告書が依頼者の手を離れて使われる以上、避けて通れない問いだと感じています。
まとめ:日頃から考えていること
たとえば、外観目視による調査であることや、「不明」という判定が出る可能性があることは、事前に説明し、了承をいただいたうえで調査に入るようにしています。前提を共有しておけば整理できることは、実は少なくありません。
また上記の問に対しても、調査の事前段階で、調査の性質や内容、リスクなどの説明は行っています。
しかし、こうした事前の説明だけでは整理しきれない部分、つまり説明を尽くしていても、依頼者、第三者、調査者のいずれかが十分に守られない場面が残るのではないかと考えています。推測の合理性、判定の重み、第三者の信頼。いずれも、調査という業務の責任の範囲がどこまで及ぶのかという、研究協議会で論じられていた問題と地続きの話です。
私自身は、法適合調査の報告書は「答え」を単に示すものではなく、どの前提で、何を根拠に、どこまで言えるのかを示したものだと考えています。なので、前提や根拠が変われば、自ずと結果も変わってきます。固定的、絶対的な結果でないということです。前提、調査の範囲、判断の根拠、そしてその確からしさをできるだけはっきり示しておくこと。それが、依頼者を守り、報告書を受け取る人を守り、調査者自身を守ることにもつながるはずだと考えています。
一方で、法的な観点からすると、上記のような考え方はどのように受け止められ、また、責任を負わなければならないのか。今後、様々な立場から論じ、整理されていくことを期待しています。私も実務を通じて、これら問いに対して考えを深めていきたいと思います。


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